owatax's blog

ニコニコのブロマガから引っ越しました。

2017.04.30 音MAD座談会 議事録(前編)

Q. これなに?
A. 2017年4月30日に行った音MAD座談会の議事録です。録音ファイルを紛失したため後編はありません。

【備考】
・この時点では音MAD宇宙論はまだあまり煮詰まっていません。
・この座談会におけるowataxの意図としては『音MAD拡張派(宇宙論者)としての立場からの論点の提示』と『それに対しての意見が聞きたい』という部分が大きかった、ような……
・あくまで2年前の解釈なので、その前提のもとお読みください。

 


◆音MADの演奏について #1:00
owatax
ドラえもんバトルピアノを使って曲を演奏した場合、それを音MADと言うか?」
※参考:【音MAD研究】音MADの定義と境界と精神性、リアルタイム音MADとドラえもんバトルピアノ - Togetter

owatax
「既存の曲の演奏をした場合、あるいはオリジナルな曲を演奏した場合にそれを音MADというのか?」
「また、(今はドラえもんバトルドームをサンプリングしているが)音MADっぽくない素材で演奏した時に音MADと言えるか?」

R.M.
「音MADは音楽の一分野だと思いますか?」
サンプラーを使う、という部分でまず思い当たるのは演劇」
「演劇に合わせてサンプラーで音を鳴らすが、少なくともそれは音楽ではない」
「その前提を踏まえると、(バトルピアノを)鳴らした時点では音楽ではない」
「音楽とも違う、ただサンプラーを鳴らすのとも違う、という観点から進めると、音MADになり得る要素が見つかるのでは」

ニュトーイ
「音楽かどうか、を議論するよりも先に音MADの定義から考えるべき」
「音楽的な意識を持って鳴らしたら音MADになる」

R.M.
多くの人は、『音⊃音楽』であると思っている
「つまり、音じゃない音楽は無いと思っている」
音MADが属する部分は、『音⊃音MAD』なのか、『音楽⊃音MAD』なのか?というのが一番気になっている
「なので上記のような言い方をした」


◆揚げ物の音 #5:50
R.M.
(唐揚げ船が着港したのを受けて)
「今、揚げ物の音に興味がある」
「揚げ物の音は、拍手の音、あるいは雨の音と同じ破裂音である」
「音MADは映像で嘘をつく事がある(音の素材と映像の素材が違うあることがある)」
「唐揚げの映像を出しながら唐揚げの音を出す、拍手の映像を出しながら拍手の音を出す、雨の映像を… というのを繰り返していく内に、分からなくなる、みたいなのをやりたい」

owatax
「おめでとーございまー!(唐揚げを揚げる音)」


◆音MADの内包関係 #7:45
owatax
音MADは音楽に内包されると思う
「だからその反例が欲しい」

R.M.
「概ねそう思っていた。だから慣らしただけではまだ音MADではなさそう」

ニュトーイ
「音MADとは、音楽の1ジャンルではなくMADの1ジャンルである」
「MAD⊃音MADである」

R.M.
「それを踏まえると、音楽ではない音MADがあるはず」
「ただ、結果的にもう絶滅してるだけかもしれないし、最初から音と音楽の区別をしていなかっただけかもしれない。正しくは音楽MADなのかもしれない?」
『音声MAD』としての括りだと、つぎはぎニュース的なものも入る。音楽ではなく、音。
あれを音MADとして定義するのであれば『音⊃音MAD』の音MADもあり得る
「しかし、多くの音MAD作者はあれを音MADとは思わない。プロの実況解説を付けてみた、も広義には音MADだと思うが、ただ『音MAD』ではない『音声MAD』なのではないか

ニュトーイ
「プロの解説は単なる『MAD』なのではないか」

すかい
サイクロップス先輩とかも、野獣の喘ぎ声が流れているだけの部分もある。しかしこれを音MADと言い張る人がいる」
「しかし、音声を使ったMADであるが、これは音系MADではない」
「リズムが存在して、それに音を繋ぎ合わせる行為があってこその音MADなのではないか」

owatax
「『MAD』というものはそもそもテープで作られていた。つまり『音以外のMAD』は元来存在しなかった」
(我々が『音MAD』と認識しているものは『音楽MAD』であり、それ以外の『MAD』とされているものこそが『音MAD』足り得るのではないか、ということが言いたかった)


◆継ぎ接ぎニュース、ヤンデレ妹などについて
(上記のものは台詞合わせ系音MADとも言えるのでは?という話)

R.M. #12:55
「(継ぎ接ぎ系を音MADに感じるかどうかは)素材に依る部分が大きいと思う」
「『超作権法第三D条を読み上げてみた』はかなり音MADっぽく感じる」
「つぎはぎニュース系だから、括りとしては『音MADとは違う何か』としておきたいが、音MADだと思っている人も少なからず居ると思う」

 


◆音MAD風味について #13:35
owatax
「(前述の流れを受けて)定規バトル音MAD風味などは音MADっぽく感じる」
何を持って音MADっぽく感じるか、というとやはり映像編集の部分が大きいと思う」

ニュトーイ
「音の編集が無かったら音MADではない?」

R.M.
音の編集がなかったら、少なくとも音MADではなさそう

owatax
「ではこの部分(空中に浮いた定規を眺める所作)だけを切り抜いたらそれは音MADかどうか」

R.M.
音MAD風味は風味であり、あくまで音MADではない、という方向に結論を持っていきたい
「しかしそれを進めすぎると再帰的に全部音MADではなくなってしまいそう」
「定義は緩やかだと思うが、定規バトルは際どい」

R.M.
「映像が音声に合うから楽しい、といったVJ的な分野のMADがあればそれに当たる」
「それが無いならば、映像が音に合う、というものも音MADの重要な要素になり得る」

owatax
「もし仮に、定規バトルの該当部分を音MADとして定義するのであれば、世にあるMADは全て音MADになってしまう」

R.M.
「『音MAD風の編集をしているMAD』と『音MAD』は別物、あたりが限界?」

owatax
「しかしそれを言い出すと『音MADっぽい編集』とは何か、という話にもなる」


◆そこまで原曲に合わせていないが、音声も載っているMADの扱いは? #16:50
ニュトーイ
「曲には載せているが、リズムに乗っていない映像は?」


ニュトーイ
「これは音MADに入る?」

R.M.
「入れないように定義したい(笑)」

owatax
もし仮に、作者が曲に合わせようという意思を持っていたとしたら音MADになる

R.M.
「逆に、合わせないようにしようとしていたとしても『モーレスター』という反例がある

R.M.
「また逆のアプローチとして、今のこの会話を録音して、それに合わせて曲を作ったとしたら?」

owatax
「自分で曲を作ったとしたら音MADではないが、既存の曲を会話に合わせたとしたら音MADになる。実際あるし。」

R.M.
「やったし。」

(笑う)

R.M.
「(修造の夏影は)主観的に言うと、音MADっぽくない」
「しかし、そういうものは概ねどの芸術も直面している」
「(仮に同動画が音MADであると主張された場合)キャンパスの上にリンゴがポン、と置いてあって、これが芸術です。と言われるようのに近い釈然とし無さ
「しかし、同動画の作者がそうは思っていなさそうだからこれは違う?」

???
「うまい!(テーレッテレー)」

R.M.
「ロックと同じ、『僕は音MADだと思います』の世界になってしまいそう。これは不毛だから避けたい」

すかい
「切り貼りっていう行為そのものが音MADの源流では?」
breakcoreも音MADであると言えると思う」

owatax
「広義の意味で言ったら、ブレイクコアナードコアも音MADだし、最終的に音MADは宇宙に行ってしまう」


◆音MADの定義について #24:00
owatax
「作者か視聴者、どちらかが音MADだと言ったら音MADになるのではないか」
https://soundcloud.com/owatax00/dveroose-miso-nicomi-records-bite-2-beat-demo



owatax
「いつも音MADを作るような手法でオリジナル曲を作った」
「この曲は『音MADの製法を知り、それを意識して作った』から音MADと呼べると仮定する」
「一方『音MADを知らないが、こういう風に組んだら面白いのではないか』と思って作った場合、これを音MADと言うか?」
「R.M.さんのTTR2016の逆パターン」

R.M.
「他人の空似だ」
「(つまり)たまたま音MADっぽかった場合、視聴者が音MADだと思ったからと音MADに含めて良いのか」


Hexstaticについて #25:55
owatax
(サンプリングした音を使って曲を作っている。加えてその音が鳴っているシーンの映像が音に同期したPVが付いている)
「我々はこれを見て音MADだと感じる。つまり(20年近く前に作られた)この作品も音MADになってしまう」

「逆に、こういったサンプリング音楽を見てきた人が『げんしのちから』などを見た際に、Hexstaticっぽいと感じる」
「立場の違いで定義が変わる」

「(muneo house infoの方の言葉を引用して)サンプリング文化を知らないで育った人たちが、自分たちの持っているMADなどの言葉を使って定義しようとした結果、音MAD(音系MAD、音声MAD)という言葉が生まれた


ニュトーイ
「音MADという言葉が先にあった訳ではなく、元々あったものを総称するために音MADという言葉が出てきた」

R.M.
だから後から音MADと言っても全くおかしくはない

ニュトーイ
「ニコニコの外にも音MADに属するものは有ると思う、しかしそれを分類する言葉としての音MADが通用するのはニコニコ動画だけ」

R.M.
「逆にこういったものを音MAD以外では何と言う?」

ニュトーイ
「名前をつけようという発想が無かったのでは?」

R.M.
「名前をつける必要がないということは、既存の概念でも説明出来るということでもある。またはメジャーではないから。とすると、メジャーになった時に、メジャーになった場所で読んでいた言葉が、ジャンル名として定着するのはアリだと思う。そうするとこれを音MADと呼んでも良い。」

ニュトーイ
「音MADという言葉が出来る前まではカットアップと呼んでいた?」



◆音MADは「ウソをつく」 #32:50
R.M.
「例えば、この映像は本当にこの音が出ている場面のものを使っているのか?」
音MADの興味のある点として『映像にウソをつける』
→「ex.その台詞を言われたシーンとは違うシーンの映像を使う」

「もしこのMVの映像でウソをついているのであれば、余計に音MADっぽい」
「絵を活かすためにウソをつく」

「この部分でカットアップと音MADの区別は出来ると思う」

※鳴っている「音」とそれに付随する「映像」に差異があるか否か、で「音楽としてのカットアップに映像がついているもの」と「音MAD」を分けられる、という考え。

ニュトーイ
MAD映像黎明期は、映像にウソをつくことこそが「MAD」だった。違うアニメの主題歌に違うアニメの映像を合わせる。こういう発想が最初のMAD映像だった」

R.M.
音MAD以外のMAD分野を見るとそこが本質の一つであるように感じる。関係のない2つの素材を繋ぐ、これは原曲と素材の関係でもあるだろうし、映像と素材の関係でもある」
ソニーのCMや第九のものは、素材に一貫性を持たせているが曲は無関係なものを繋いでいる。あれでもし曲がオリジナルなら(音MADかどうか)かなりキツい線」

ニュトーイ
「Aの曲とBの素材を組み合わせるというのが音MADの前提ではあるが、カットアップ的な音MADはそうではない?」

R.M.
「オリジナル曲の台詞合わせは音MADなのか?と視聴者に言われるが、概ね感じている要素はそこだと思う」

ニュトーイ
「原曲と素材を組み合わせるという要素がない」

R.M.
「そこでやはり、技法で音MADと判断している要素がある」
「関係ない2つの要素を繋ぐ、ということで考えると、たとえ1キャラクターであっても関係のないシーンを繋いでる時点で2点間を繋いでいると言える」
「だから、Memeのようなシーン丸ごと台詞合わせしているものは、曲がオリジナルだとキツい」